認知療法NEWS

ビデオ・セッション:ベックの認知療法

「ベックの認知療法」と題したビデオ・セッションは,市販されているベック博士の面接ビデオ(『精神療法への3つのアプローチ:アーロン・T・ベック:認知療法』)を供覧した後,鳴門教育大学大学院の成瀬英員氏(現岐阜県可児市立新見小学校)と渡辺元嗣氏がそれぞれ治療者と患者を演じ,井上がこれに注釈を加えるという形で進められた。

ビデオに登場する男性は最近離婚し,土曜日の昼下がりになると,寂しさのあまり自殺を考えることもあるという設定である。

ビデオは,ベック博士が面接の冒頭で患者に問うところから始まる。面接の冒頭から,治療者は直ちに認知モデルへの導入を試みている。

T(治療者):ここへ来られてどういうお気持ですか?

P(患者):とてもそわそわしています。

T:他には?

P:胃がきりきりとして,手にも少し汗をかいています。それに,どんなふうに思われるか,うまく話ができるか,心配です。

短い会話の中に,認知療法を実施する上で必要な情報がすべて出てきている。それは緊張感とか不安と呼べる感情であり,胃の痛みとか発汗という身体症状であり,「どんなふうに思われるか」とか,「うまく話ができるか」という認知である。もちろん,それらは,ベックとその場にいる,という状況下で起こったことである。状況,認知,感情,そして身体感覚の変化,これらをひとまず分離して把握する作業が始まる。

T:これまでにもそんなふうに考えたことがありましたか? 「どんなふうに思われるだろうか?」とか,「話を続けられるだろうか?」とか,「ちゃんとやれるだろうか?」とか。そんなふうに考えた覚えがありますか?

P:ここに近づくにつれて,どんどんそんな考えが強くなりました。

T:その考えが強くなると,不安や胃の具合や手の汗はどうなりましたか?

P:胃はますますきりきりしてきました。喉に物が詰まっているようで,とても息苦しくなりました。

T:そうすると,胃の痛みの他にも,喉に物が詰まっている感じや息苦しさもあったのですね。

P:はい。

T:では,あなたが心配して考えたことと,あなたが経験したいろいろな症状との間に,何か関係があると思われますか?

P:両方,一緒に起こってくるんです。

この部分は重要である。治療者は感情や身体症状と認知との関連を尋ねている。患者は「ここに近づくにつれて,どんどんそんな考えが強くなりました」と答え,その考えとともに身体症状が募ったことを報告している。

注目しておきたいのは,ベックが疑問形を頻繁に使っていることである。質問の積み重ねを通して,患者を認知モデルへと導いていくのである。誘導による発見(guided discovery)と呼ばれる認知療法の基本原則がここには見られる。

T:そんなふうにあなたが考えることによって,あなたが感じている不安や,それから胃の変な感じ,手の汗,息苦しさとかいった身体の変化が現れるものかどうか,それをここで見ておきたいのです。本当にそんな考えが不安の症状をもたらすのかどうかを知りたいのです。それで,もしそんなふうに考えることが適切ではなくて,間違っているのなら,その考えを修正することで,不安症状を治せるはずです。たとえば,この場であなたがどうふるまうかということは問題ではないかもしれませんし,もし実際そんなことはどうでもよいと納得できたら,もうあなたは不安を感じなくなるでしょう?

P:それは楽になるでしょうね,きっと。

T:それでは,今そのことを確かめてみましょう。実際その通りになるかどうか,をですね。

ここで治療者は不安の認知モデルに患者の自覚を向けようとする。認知が不安症状をもたらす可能性,歪んだ認知の修正が不安の軽減につながる可能性を指摘している。重要なのは,こうした可能性を自明のこととして患者に押し付けるのではなく,本当にその通りの結果になるかどうかを一緒に調べてみようと患者に持ちかけている部分である。仮説が正しいかどうかを検証しようとするのである。共同的経験主義(collaborative empiricism)と呼ばれる認知療法の基本原則がここには見られる。

はたして予想した通りの結果になるかどうか,面接は続く。

T:面接を続けるのは誰の責任ですか,あなたの責任ですか,それとも私の責任ですか?

P:あなたの責任です。

T:そうですね。では,あなたの役割は何ですか?

P:私の役割ですか? いろいろと知識を得て,この不安を何とかするために,私はここに来ているんです。それがここに来た理由です。

T:その通りです。あなたの役割は質問に答えることです。それに,緊張してあがっていたとしても,情報は伝えられるはずです。あなたがあがっていること自体,一つの情報でしょうから。

P:そうですね。

T:ですから,責任はあなたにはない,そうですね。

P:ええ,ありません。

T:その通り。そして,評価するのもあなたではないのです。

P:はい。

「どんなふうに思われるだろうか?」とか,「話を続けられるだろうか?」と考え,緊張する患者は,「ちゃんとしなければならない」という認知にとらわれているのだろう。この「しなければならない」は曲者である。その暴君のような力を緩和するために,治療者は面接の中での治療者と患者の役割を明確にしようとする。そして,続ける。

T:では,ご自分の役割を果たすには,どんな方法がふさわしいと思いますか?

P:私にはあなたの質問に答える義務がありますし,あなたに正直でなければいけません。

T:そうですね。では,不安になると,あなたは正直でいられなくなりますか?

P:いいえ。

T:では,不安であろうとなかろうと,あなたは正直でいられるわけですね。

P:はい。

T:正直さは上手にふるまったり,上手に会話を続けたり,洗練された話し手であることなどとは無関係である。

P:確かに,そうです。

面接の中では正直であることが求められている,そう患者は答える。治療者は問いを重ねることによって,合理的で現実的な認知へと患者を導く。「正直さは洗練された上手な会話とは無関係である」という合理的(適応的)反応が得られたのである。

最後に,治療者はこの合理的反応が患者の感情に与える効果を確認する。この最後の詰めを忘れないことが大切である。

T:では,この件はひとまず検討できたわけですし,あなたの役割についても見直せたわけです。それで,今どんなふうなお気持ちですか?

P:楽になりました。まだ不安ですけれど,さっきより気持ちがよくなりました。

T:あなたもおわかりになったと思いますが,考えが修正されると,たとえば,「上手にやらなければならない」というふうに,いくぶん極端に考えていたのが,「自分に与えられたことだけを果たせばいい」と考えるようになると,感情も変化することになるのです。

「上手にやらなければならない」というふうに,いくぶん極端に考えていたのが,「自分に与えられたことだけを果たせばいい」と考えるようになると,感情も変化する。このように,認知モデルを提示し,認知療法の目指すところを明確にして,導入は終わる。

このように,患者が現に体験している事柄に焦点を当て,生々しい「熱い認知」を取り出して,それを処理する,という方法がある。頭で理解するだけで終わらないためにも,体験に即した実例を用いて,認知モデルへの導入を図ることが重要である。

さて,治療者はこの後,問題の特定に移る。患者は,離婚後,気分が沈み,不安と孤独に悩まされていることを語る。さらに,認知療法を進めて行く上で重要な認知についても口にする。患者の訴えを聞いてみよう。

P:離婚してからというもの,気持ちが落ちこんで,不安ですし,それにとても寂しくて,「これから先ずっとひとりぼっちなのだ」という感じです。「今では誰ひとり私を必要としていない」んです。

患者の訴える孤独感には,「これから先ずっとひとりぼっちなのだ」「今では誰ひとり私を必要としていない」という認知が伴っている。治療者がどのようにこの問題を処理していくか,治療技法に着目しながら,聞いてみよう。

T:「これまでずっとひとりぼっちだったし,これから先もそうだ」,「誰ひとり私を必要としていないし,私を必要としてくれる人にめぐりあうことも二度とないだろう」と,あなたはおっしゃいますが,そのことをどのくらい確信しているのですか?

P:ふだんはそうでもないのです。ただ,ひとり家で横になっていて,何もすることが見当たらなくて,電話する相手もいない,デートの予定もない,そんな土曜の昼下がりには,「誰も私を必要としていないんだ」と考えて,自分がみじめになるのです。

T:なるほど。実際にひとりのときには,そういった考えが浮かんでくる。しかし,こうして誰かといると,同じ考えでも,あなたはそれを信じているわけではない。

P:ええ。

このように,孤独感にかかわる認知が得られたら,次にその認知に対する確信の度合いを尋ねることが,認知の再構成(cognitive restructuring)を行うときの一般的な手順になる。この男性の場合,土曜の午後に自宅でいるときと面接場面とでは,「誰も私を必要としていないんだ」という認知に対する確信度がずいぶん違うようである。

T:それでは,土曜の昼下がり,ベッドで横になっていると,どんなことになるのですか? 外はどんより曇っていて,誰からも電話がない,あなたはまったくひとりきり,そんなとき,あなたはどんなことを考えるようになるのですか?

P:きっと暗い気持ちになってしまうでしょう。

T:そして,「私はひとりぼっちだ,これから先もずっとそうだし,誰からも必要とされていないのだ」と考え始めるのですか?

P:そうです。

T:そんなふうに考え始めたら,そのときあなたはどうするのですか?

P:きっと誰かに電話してみるでしょう。

T:なるほど。誰かに電話をかけてみる。

P:ええ。

T:電話して,相手から良い返事がもらえたとしたら,それは何を意味していますか?

P:相手が私を大切に思ってくれていることになります。

T:その通り。誰かがあなたを大切に思ってくれている。そうだとしたら,「誰からも必要とされていないのだ」というあなたの考えは間違いだったことになります。

P:ええ。

T:その考えの誤りをあなたはご自分に証明してみせたことになります。

P:ええ。

T:もちろん一度証明できただけでは十分ではありません。ツバメが一羽来ただけでは夏にならないのですから。何度も何度もそのことをご自分に証明し続ける必要があります。

P:ええ。

認知療法では,治療で取り扱われる認知は,すべて,事実ではなく,仮説とみなされる。

それは,患者の考えは正しいかもしれないし,間違っているかもしれない,ということを意味するだけではない。治療する立場にある私たちの認知にも誤りはあるかもしれない,という意味である。私たちだけが現実を認識していて,患者の認知に代わる合理的解答を持っているということではないのである。

患者が示す認知はしばしば非機能的であるとか,不合理であると呼ばれるが,ある手続きを経ない限り,私たちにはそう断定することは許されていない。その手続きとは,実験である。仮説を検証するための実験を試みることである。

「私は誰からも必要とされていない」という認知が現実を正確に反映したものかどうかは,たとえば,電話をかけるという行動実験(behavioral experiment)を経ないことには判断できない。そして,もし電話の相手から好意的な返答が得られたなら,「少なくとも誰かひとりはあなたを大切に思っている」ことになるはずである。それを私たちは実験を行うことによって確かめてみなければならない。

T:今度また土曜の午後にひとりお家でいて,この考えが浮かんできたときには,誰かに電話をかけて,その考えが正しいかどうかを実験してみるとよいでしょう。ところで,そのときもし相手が家にいなかったとしたら,どうなりますか?あなたはまたベッドに戻って横になるのですか?

P:そうなったら,ずいぶん気落ちすると思います。電話しても,誰も家にいなくて,みんな何か楽しそうにしているんですから。私だけが家にひとりぼっちなのですから。

T:どんなふうに考えて,気落ちしてしまうのですか?

P:留守にしていて,私には電話もくれなかったのですから,相手は私のことなど何とも思っていないのだ,と考えてしまいます。

T:あなたのことを大切に思うなら,あなたから電話がかかってくるのを家で待っていてくれるはずだ,というわけですね。

P:そうです。

T:それに,あなたのことが本当に大切なら,相手はあなたに電話してくれるだろう,というのですね。

P:その通りです。

「私は誰からも必要とされていないのだ」という認知を検証するための実験は,もちろん相手の好意的な返事で終わるとは限らない。いつも最良の結末が患者を待ちうけているわけではないからである。そこで,予測される最悪の事態に対して準備することを忘れてはならない。

たとえば,相手の不在という,最悪の予測が的中したとき,患者の認知がどのように変化するのかを,まず知っておく必要がある。

T:電話がないのは,相手があなたのことを何とも思っていないからだ,と言われましたが,それ以外に何か理由はないのでしょうか? 相手が電話してこないことについて,別の説明はできませんか?

P:みんな自分のことで忙しいのかもしれません。

認知療法は質問すること(questioning)を重視する治療法だが,臨床場面ではいわゆる定石の質問がいくつか使われる。その一つが,「根拠は何か?」と問う方法である。そして,第二の定石質問は「別の見方はないか?」というものである。同じ出来事を別の視点から眺めるとどうなるだろうか,と問いかけるわけである。

「電話がない」という出来事は,患者にとっては,「相手が自分のことを何とも思っていない」証拠になるのだが,この場合,「相手は多忙である」という別の説明も可能なはずである。

認知療法では,論理によって相手を論駁することが重要ではない。むしろ,次のような穏やかな方法によって,患者を新たな認知に導くことこそ必要と思われる。

T:あなたにとって,どんよりと曇った土曜の午後,ひとりでいることは,大きな問題のようですから,今お話ししたことが役に立つかどうか調べてみましょう。いかがです,いっしょに少しロールプレイをしてみませんか? まず私があなただと想像してください。土曜の昼下がりです。私はベッドで横になっています。私はいろいろと考えています。そこで,あなたには,私がどんなことを考えているか,その考えが間違っていないか,どうやってその考えを訂正すればいいか,を私に教えてもらいたいのです。いいですか? ……私はひとりぼっちで,家にいる。「どうすればいいのだろう。一日中,誰からも電話がない。たまらない気持ちだ。みんな私のことなど何とも思っていないのだ。」……あなたは私のこの考えにどう答えますか?

P:みんなあなたのことを大事に思ってくれている。あなたにはたくさん友だちがいる。

T:私にそんなにたくさん友だちがいただろうか? 誰だろう,私の友だちというのは? ひとりも思い浮かばない。

P:ドンに,ジムに,それからもうひとりジムがいて,デニスに,スティーブ,あなたのゴルフ仲間がいるだろう。

T:ドンに,ジムに,もうひとりのジム,デニスとスティーブか。それで全員?

P:いいや。いつもゴルフをいっしょにやる仲間が他にふたりばかりいる。

T:名前は?

P:スティーブにデニス。スティーブは言いましたか? デニスもドンも,それからジムも,ふたりずついるんです。

T:ああ,どうしてなんだろう,心の底から私のことを大切に思ってくれているなら,どうして連中は電話をかけてきてくれないのだろうか?

P:いつもそう自問してしまうんです。

別の視点から事態を眺めようとするとき,このように,立場を逆転した形のロールプレイを行うと,侵襲的にならずに現実的な認知を引き出すことができる。

ところで,「みんな私のことなど何とも思っていないのだ」という認知に対して,もし患者が応じたように,「みんな私のことを大事に思ってくれている」と答えるだけでよいのだろうか? 「みんな私のことなど何とも思っていないのだ」というのが全否定的思考であるとすれば,「みんな私のことを大事に思ってくれている」というのは全肯定的思考になる。言うまでもなく,認知療法は肯定的思考を目指すものではない。全否定と全肯定の中間に位置する現実的な視点が求められているのである。

そこで,治療者が確認しようとしたように,誰と誰があなたのことを大事に思ってくれているのか,具体的にとらえておく必要がある。

「心の底から私のことを大切に思ってくれているなら,どうして連中は電話をかけてきてくれないのだろうか?」という認知に対する別の説明を,患者が与えられないでいるところから始めよう。

T(治療者):もう一度そこのところをやってみましょう。……連中が電話をくれないのなら,電話のない理由として,他にどんなことが考えられるだろうか?

P(患者):みんな自分の生活に忙しいのだ。

T:その通りです。それぞれ,自分の生活があって,忙しい,というのは不合理なことでしょうか? もし彼らの生活のなかに入っていきたいのなら,こちらが積極的になる必要がある。そうではありませんか?

P:そうだ,そうしたほうがいい。自分が積極的にならないことには。

T:ところが,どうしたらいいかが,まだ私にはよくわからないんだ。このまま横になっていよう。誰からも愛されていないし,これから先も誰ひとり愛してくれないだろうし……。

P:どうだろう,ジーンズにシャツを着て,歯をみがいて,髪を整えて,シャワーを浴びて,それからみんなの集まる店に行ってみないか?

T:……今あなたが言われたようにすれば,あなたの否定的な考えに反論できることになるのです。あなたは今その見本を示されたわけです。きっと同じような出来事がまた起こるでしょうが,そのときには,私を納得させてくれたように,理にかなったやり方で,ご自分を納得させられそうに思いますか?

P:ええ,できそうです。

T:私たちが認知療法と呼んでいるものは,こういうものなのです。認知療法は人々の誤ったものの見方を修正しようとする試みなのです。今はっきりわかったことは,あなたの最初の考えが間違っていたということです。あなたには実はたくさんの友だちがいるのですから。最初のあなたの口ぶりだと,あなたにはこの世の中にひとりも友だちがいないようでした。ところが,もしいろいろな人たちに聞きとり調査をしてみたら,たぶんあなたには他の人たちに負けないくらいたくさんの友人がいることがわかるでしょう。

二度めのロールプレイは成功した。患者の口からは「みんな自分の生活に忙しいのだ」という別の説明が聞けたのである。しかし,治療者はそれで満足していない。「でも,どうしたらいいかが,まだ私にはよくわからないんだ」と,患者に難問を向ける。身体を起こしかけていた患者を再びベッドに戻しかねない障害物を準備して,患者がそれをどう克服するか,リハーサルをしてもらおうというわけである。

患者は上手にこの危機に対処する。「ジーンズにシャツを着て,歯をみがいて,髪を整えて,シャワーを浴びて,それからみんなの集まる店に行ってみないか?」と,彼は治療者に,あるいはもっと正確に言えば,自分自身に提案できたことになる。

最後に,土曜の午後に患者を襲う孤独感とそれに関連する認知や行動について,このような処方箋を提示した後,治療者は認知療法のめざすところを要約していた。

さて,この部分に続いて,治療者は,「女性のいない人生など幸福な人生とは言えない」という幸福感に関わる患者の認知から,妻に対する怒りとそれに関する認知,さらには自殺念慮にまで,次々と言及していく。印象的なのは,各部分が一定の構造を持って進行していて,セッションの話題(agenda)が手際良く,余すところなく処理されていくことである。認知療法は構造化された治療であると言われるが,ビデオではその特徴がよく理解できる。

次に,自殺念慮に関する部分を抜粋してみよう。

T:不幸せなとき,人は自分や他人を傷つけるようなことをする場合がよくあります。しかし,あなたが不幸であるからと言って,ご自身を傷つけてしまうようなことは,あなたにしてほしくないのです。何らかの方法でご自分を傷つけようと考えたことが,これまで少しでもありますか?

P:ええ,自殺を考えたことがあります。

T:自殺を考えることはよくあるのですか?

P:普通,1ヵ月に1度くらい,土曜日の午後に考えます。

T:それでは,今度また土曜日の午後に自殺を考えはじめたら,あなたはご自分に何と言ってあげますか?

P:みんな私のことを大切に思ってくれている,と自分に言って聞かせます。

T:その人たちの名前をあげる必要があります。ただ抽象的に言うだけではいけません。

P:わかりました。今みんなの名前をあげたほうがいいでしょうか?

T:いいえ。ただし,ご自分には教えてあげるようにしてください。

P:はい。

T:ご自分にはその人たちの名前を言ってあげなければいけません。それから,他にどんなことを自分に言ってあげる必要がありますか?

P:その人たちは本当に私のことが好きだし,私を大切に思ってくれているし,私が自殺してしまうことを望んでなどいない。私にも社会に貢献できることがある。

T:その通りです。あなたがしなければならないのは,現実を見据えることによって,否定的な考えを和らげることです。

土曜日の午後に出現する自殺念慮には,「みんな私のことなど何とも思っていない」という認知が関係しているようである。先にロールプレイで試みた方法をもう一度患者は復習することになる。ここで治療者が抽象的にではなく,きわめて具体的な形でこの認知に拮抗するよう,患者に強調しているのを忘れてはならない。肯定的思考を用いた慰めは,持続的な説得力を持ちえないからである。

この後,患者は数年先の自分について未来予想図を描く。「いつになるか,はっきりはしないけれど,あと1,2年もして,こんなことが何もかも終わって,また落ち着きを取り戻せば,今度の出来事も自分にとってとても良い経験になると思います」と患者は語るのである。

最後に,治療者は今回の治療に関して患者の意見を求め,宿題(ホームワーク)を決め,感情の変化について問い,セッションを終了する。

T:今日はいろいろな事柄を取り上げましたが,何か疑問に思うこととか聞いておきたいことがありますか?

P:いいえ。あの,自分なりに,その,ぼんやり横になっていて,気持ちが落ちこんだときには,あの,自分に向かって,つまり,「私はいい人間だし,友だちもたくさんいるし」と,たとえば,そう言い聞かせようと……。でも,まだ少し信じられないところがあって……。

T:それがうまくいくのかどうか,というのですね。

P:ええ。「電話で呼び出して,何でも話のできる友だちが14人もいて……」というようなことを言ってみるたびに,否定的なことがまた頭をもたげてくると思うのです。

T:あなたの頭に浮かぶ否定的な考えに,私がすべて,こんな短い時間で答えることは,できない相談です。しかし,どうすればそれができるようになるか,その方法をあなたに教えてあげることはできるのです。憂うつな土曜日がやってくる前に,紙と鉛筆とをとって,今あなたが言った反論を書き留めておけばいいのです。「電話で呼び出して,何でも話のできる友だちが14人もいて……」というふうに。それから,その反論に対する反論を,たとえば,「本当に私のことを大切に思ってくれているのなら,なぜみんなは電話をくれないのか?」と,書くのです。そして,今日あなたがここで実際にやってみた方法を使って,その反論の反論に答えるようにするのです。繰り返しそれを練習して,どんなふうに上達するか確かめてください。……ところで,今日はいろいろなことを取り上げたわけですが,どんなふうに感じましたか?

P:とても喜んでいます。これまでは,気持ちが落ちこんでも,その状況と戦おうとはしなかったのです。ただもう家のなかで横になったまま,テレビを見て,ビールを飲んで,眠くなるのを待って,それから,ベッドに入って,次の朝には気分がよくなっていてくれたらと思うだけで。

T:なるほど。面接の始めには,あなたは不安だと言っておられたし,実際に悲しそうな顔もしておられたわけですが,今はどんな気持ちですか?

P:いい気分です。もうあと1時間この治療を続けてみたい感じです,もしできればのこと,ですが。

認知療法と言うと,理屈で無理やり相手を説き伏せようとする治療と思われるかもしれない。しかし,それは誤解である。ソクラテスが試みたように,患者が自分の力で新しい事実を発見できるよう,治療者は援助するのである。しかも,論理的対話だけでは完結せず,患者が自らの「体験」から学ぶことが強調される。「共同的経験主義」と「誘導による発見」という認知療法の基本原則を忘れないようにしたいものである。

『認知療法News:第7号』(星和書店,こころの臨床ア・ラ・カルト,1998年12月号)および

『認知療法News:第8号』(星和書店,こころの臨床ア・ラ・カルト,1999年3月号)より引用


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