認知療法NEWS

教育講演2 認知療法と精神分析

続いて教育講演に立った慶應義塾大学医学部専任講師の大野裕氏は,「認知療法,行動療法,精神分析を対比して『同一性と差異性』を理解するには,それぞれの治療者を見て,話し方や雰囲気の違いから感じとってもらうのがよい」と語りはじめた。

FreudとBeckの病歴

同氏はFreud にはpanic disorderの病歴があり,神経症的葛藤を治す過程で精神分析が創り出されたと指摘した。さらに,「精神分析療法は自分にあった,自分が使いやすい療法で,治療者によってはいろいろ違う治療法,治療技法があるはずだ」という言葉を引用し,Freudは『同一性と差異性』を認識しながら精神分析を発展させた点を強調した。

Beckについても,子どものころ敗血症になった後,不潔恐怖や病気恐怖に悩まされたという病歴が紹介された。彼は恐怖を克服する中で行動療法的技法が有用であることを体験的に身につけていったという。同氏はそうした個人的な体験の重要性を指摘した。

精神分析とBeck

BeckはYale大学を卒業し精神科医になったが,精神分析に興味がなく,精神分析の作り上げるロジックに懐疑的であったという。しかし,勤務した病院は精神分析が盛んで,仲間がBeckの神経症的なところを見てとったのか,彼に分析を勧めた。その結果,彼は精神分析協会に入って精神分析を勉強し,うつ病の研究をするようになったのである。

次に,同氏は「攻撃衝動の逆転」という精神分析のうつ病理論について例を交えながら語った。ところが,自由連想法の治療記録をもとにうつ病患者の夢を調べたBeckは,怒りの逆転ではなく,悲観的な考えでうつ病が起こるのではないかと考えるようになった。

Beckの学問的な生き方として重要なのは,実証することで思い込みを捨て,新しい仮説を立てたところであり,これは認知療法で行われることの本質でもあると同氏は指摘した。

「間違い電話の夢」

同氏は『同一性と差異性』に関しては「同じようであって,違うようであって,違うようであって,同じようである」というのが最終的な答えになると述べた後,「間違い電話の夢」を例に『差異性』を論じた。真っ暗闇の中で公衆電話を探して,電話すると,間違いだったという夢である。うつ病患者は「自分は駄目だ」と暗い気持ちで目が覚める。

精神分析だと,夢を分析し,自由に思い浮かぶことを話してもらうことになる。患者は暗い街を一人で歩く,見捨てられた自分を連想する。子どものころの母親との体験を思い出す。母親への怒りを感じる。それをどう表現すればよいかわからなかったといった連想をする。精神分析の治療者だと,私に対して腹立たしく感じていないかと問いかける。自分を理解してもらっていないとか,自分が置き去りにされている感じがしていないかと気持ちに焦点を当てる解釈をしていく。

認知療法の場合,「自分は駄目だ」という批判的な考え方がどんな問題を引き起こすのか,その考え方には裏付けがあるのか,別の考え方はできないのか,となる。

認知療法の日本への適用

認知療法は行動療法や精神分析と違うことをBeckは強調したが,「認知療法を日本に適用していくとき,『自分は違う』と主張しすぎると孤立してしまうし,認知療法を押しつけすぎると患者はそこを乗り切れない。どのように一体感を作っていくかが必要になってくる」と同氏は留意点を述べた。

個人的体験から見た精神分析と認知療法

同氏は「体験的に『同一性と差異性』を深めていきたい」と前置きして,1985〜88年の留学当時アメリカの精神医学界で認知療法が注目されはじめたことを回顧した。生物学的精神医学が強くなる一方で,精神科医は精神療法を行わなくなっていたが,その中で認知療法が注目を集めた理由の一つは,うつ病に対する治療効果が実証されたことにある。

次いで,同氏はCornell大学での臨床体験をもとに,治療者の態度から精神分析と認知療法との『差異』を例示し,「治療者のパーソナリティにあった治療」ということを強調した。治療者は治療者としての自分にあった治療法を創っていくしかないのである。

同氏は認知療法家のスーパービジョンを受けていた当時を回想し,日本で行われている精神分析はアメリカで言うとかなり認知療法的であると述べた。また,『同一性と差異性』と言うとき,何を精神分析と呼び,何を認知療法と呼ぶかが重要で,日本での精神分析とBeckが言う精神分析とは違うと考えたほうがよいと注意した。

精神分析の発展形としての認知療法

初期の感情モデルから始まりFreudのモデルの変遷を概観した後,同氏はFreudの認知モデルの一つの発展の中に認知療法を位置づけ,「認知療法は精神分析の発展形だ」というBeckの言葉を紹介した。

さらに,精神分析と認知療法の接点として治療の短期化に同氏は言及した。もともとFreudは短い治療をやっていたというのである。また,治療を短くするには,焦点を絞って話を展開することが必要になるが,構造の設定,話の内容の設定という点にも共通部分があると同氏は述べた。

次いで,同氏は中立性と受身性の違いを指摘した。中立性とは価値観を強要しないことで,受身性とは積極的に話しかけないことである。そこで,受身性を治療的に強調すると精神分析と認知療法は異なるが,中立性を重視する点では基本的には同じである。

精神分析の場合,転移の解釈を行う。子どものころの体験は治療者と患者の間の関係性の中に再現される。そこで,患者が治療者に向ける感情を感じ取って,それを解釈する。同氏によると,認知療法ではこの関係性が普遍化・一般化され,現実の生活の中で現れる行動までを扱っていく。

「精神分析では無意識的欲動がキーワードになるが,認知療法では徹底的にこれを認めようとはしない」と指摘した後,同氏は「過去にどれほど意味があるのか?」と問いかけ,過去よりパーソナリティとか遺伝とか,パーソナリティと環境との相互作用が重要ではないかと述べた。そして,Beckのautonomyとsociotropyという概念に言及し,前者はachievementが,後者は人間関係がうまく行かないと抑うつ的になるが,そうした関係性の中で見るほうが臨床的ではないかと提案した。

精神分析,行動療法,認知療法

同氏によると,うつ病の認知療法には精神分析的な発想がかなり残っているが,パニック障害の認知療法では行動療法的な色合いが強くなり,パーソナリティ障害の認知療法は過去の精神分析的な考えになっている。

最後に,同氏は「重要なのは雰囲気とかそういうものであって,治療者は状況に合わせて自分を変えていくしかないのだろう」と述べて,講演を終えた。

『認知療法News:第6号』(星和書店,こころの臨床ア・ラ・カルト,1998年9月号)より引用

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