認知療法に興味をお持ちの皆様へ

日本認知療法学会 広報委員会
2008年11月

認知療法とは

1)認知療法は,きわめて常識的な視点からなされる“コモンセンス”の精神療法である.

精神の病理を理解し治療するためには,常識的なものを一度は離れ,これとは違う視点から病理を見ていくことが必要となります.しかし,認知療法の視点は,病理と正常の差異性よりもその同一性に着目します.常識的なものがむしろ強調されるのです.患者は,健康な人々が日常の中で用いる方略や技能を,治療の過程で再び学習することとなります.常識(コモンセンス)の視点と方法が応用できる治療法,それが認知療法なのです.

2)認知療法は,認知のパターンに関する理論的仮説(認知モデル)を基礎としている.

認知療法は,理論的にも,治療実践においても,患者によって意識され自覚された思考や視覚的イメージ(これを認知 cognitions と総称する)に注目します.この認知の特徴的なパターンに関する理論的仮説が,認知療法の基礎となる認知モデル(cognitive model)です.それは,病的な抑うつや不安などを主徴とする情緒障害(emotional disorders)を,認知の障害という視点から説明しようとする理論であり,一般的には次のような形で定式化されます.

「ある状況下における患者の感情や行動は,その状況に対する意味づけ・解釈である患者の認知によって規定される」

認知モデルは認知療法の対象となる病態に応じて,たとえば,うつ病にはうつ病の認知モデルが,パニック障害にはパニック発作の認知モデルが提唱されています.この場合,認知モデルはそれぞれの病態を説明するための仮説(explanatory model)として提示されていることを理解しておく必要があります.病因に関する理論(causal or etiological model)ではなく,つまり,認知モデルは「認知の障害がうつ病(あるいはパニック障害)を引き起こす」と主張するわけではありません.

3)認知療法では,認知のパターンを修正することにより,治療効果を得ようとする.

認知モデルは情緒障害における認知の重要性を指摘していますが,認知療法の治療目標は認知の障害そのものを修正することではありません.抑うつや不安などの感情の病理を解決するために,認知という側面からアプローチするのです.認知のパターンを修正することを通して,不快な感情の改善を図ろうとすること,それが認知療法の目標なのです.

ここで注意すべきことは,患者の否定的思考(negative thinking)を肯定的・積極的思考(positive thinking)に転換することが重要ではない点です.認知療法は,ある状況をみる視点はいくつも存在すること,その中には患者の否定的思考よりも適応的(adaptive)・現実的(realistic)な視点が存在しうることを,患者が自覚できるように援助します.そして,認知的技法(cognitive techniques)と行動的技法(behavioral techniques)という治療技法を用いて,否定的思考に対する患者の確信度を減じることが繰り返し試みられるのです.

もちろん患者の思考がいつも不合理であるとはかぎりません.それが現実を正確に反映しているときもあるでしょう.その場合には,問題となる状況そのものを改善したり,あるいは,患者の対処技能(coping skills)を向上させたりすることが必要になるでしょう.

4)認知療法は“セルフヘルプ”の精神療法である.

誰しも自分の考えは正しいと思いがちです.うつ病や不安状態にある患者も例外ではありません.彼らは健康なときに比べ,状況を多面的に解釈することが困難になっています.そこで誤った認知のパターンを修正するには,継続的な努力と訓練が不可欠となります.認知療法は治療セッションの中だけで行われるのではありません.日常生活が治療の場となるのです.患者に与えられる宿題(homework assignments)は,認知療法が奏功するためには必須の課題です.

認知療法は,治療者と患者の共同的な治療関係(collaboration)の上に成立します.治療者の父権的な(paternalistic)あり方は後退し,治療者と患者はチームを形成し,役割と責任を分担しあいながら,同一のレベルで問題解決に関わります.場合によっては,患者が治療を主導することが必要になることもあります.

認知療法による改善には,患者の積極的な関与が重要です.認知療法は,その意味で,“セルフヘルプ”の発想を持った治療と言えます.

5)認知療法はその有効性が確かめられつつある精神療法の1つである.

およそ治療法について語るときには,治療効果の有無が重大な問題になります.認知療法は,少なくとも外来治療の適応となるうつ病においては,一定の治療効果が報告されている数少ない精神療法の1つです.

認知療法の歴史

認知療法の基礎をなす“情緒障害の認知モデル”という理論は,決して新しいものではありません.たとえば,古代ローマの哲人皇帝マルクス・アウレーリウスの次のような言葉の中にその萌芽を見いだすことが可能です.

「君がなにか外的の理由で苦しむとすれば,君を悩ますのはそのこと自体ではなくて,それに関する君の判断なのだ」

もちろんうつ病や神経症などの情緒障害の認知モデルは,哲学的思索の産物ではなく,きわめて臨床的な視点から生まれたものです.その歴史は1950年代後半にまで遡ります.当時うつ病の精神分析的概念に検討を加えていた Beck は,やがて理論と臨床的事実の乖離を経験し,精神分析理論から離脱することになりました.そして,1960年代には,感情・気分の一次的障害を本質とする病態とみされてきたうつ病という“感情の病”を,“思考の異常(thinking disorder)”という観点からとらえなおす斬新な考えを公表するようになりました.これが、うつ病の認知モデルです.さらに,Beck はこの理論を治療的に応用するようになりました.これが、うつ病の認知療法です.

1970年代後半,Beck の古典的著作である“Cognitive Therapy and the Emotional Disorders”と“Cognitive Therapy of Depression”が公にされています.また,この頃から,抗うつ薬を用いた薬物療法との比較研究が次々に行われるようになり,うつ病に対する認知療法の有効性が実証されてきました.

1980年代以降,認知療法の適応となる病態は拡大する方向にあります.うつ病はもちろんのこと,神経症,とりわけパニック障害,さらにパーソナリティ障害,摂食障害,薬物依存,そして夫婦間の心理的問題へとその治療的試みは広がっています.認知療法は,アメリカ,ヨーロッパを中心に,多くの臨床家の注目を集める精神療法へと発展しているのです.

わが国への Beck の認知療法の紹介は,1980年代後半から活発になりました.認知療法に関する著書や訳書,論文が現れはじめ,わが国においても精神科医や臨床心理士の間に関心が高まっています.

認知療法の最近の動き

1)認知療法は、1990年代には、「行動療法」と合体して「認知行動療法」と呼ばれるようになり、技法の幅が広がった.

2)認知療法・認知行動療法は、はじめは、うつ病に対する治療法として確立された.その後、パニック障害・強迫性障害・対人恐怖などの不安障害や、発達障害、摂食障害、統合失調症の症状(幻覚や妄想)、パーソナリティ障害にも適用されるようになった.

3)認知療法・認知行動療法は、うつ病と不安障害に対して、確実な効果があることが科学的に証明されている.また、発達障害、摂食障害、統合失調症の症状やパーソナリティ障害などに対する認知療法も急速に発展している.他の治療技法に比べ、短時間で、大きな効果があらわれることが証明されている.

4)治療効果を実証的に確かめながら、治療技法を開発してきた.こうした考え方をエビデンス・ベースの臨床実践と呼ぶが、認知療法・認知行動療法は、こうした考え方に立ち、効果の明らかな技法だけを用いようとしてきた.

5)世界的に見ると、認知療法・認知行動療法は精神療法の世界標準(グローバル・スタンダード)となっている.アメリカの保険会社やイギリス政府は、認知療法の治療効果を正式に認めている.欧米の精神療法のガイドラインには、認知行動療法が推奨されている.いかがわしい民間療法の被害が絶えない欧米社会において、認知行動療法は高い信頼を得ている.

6)このように世界標準となった認知行動療法であるが、日本においては、導入が遅れている.「認知行動療法を受けたいが、どこの機関に行けばよいか」という問い合わせを多く受けるが、実際のところ、まだ認知行動療法のできる機関はそれほど多くない.今後、日本でも、認知行動療法を実施できる機関を増やしていくことが急務となっている.

7)日本の厚生労働省は、多くの大学で研究班を組織して治療効果を検討しつつあり、認知療法・認知行動療法を医療保険点数化することを検討している.

8)欧米では、認知療法家の養成の制度も整っている.アメリカでは、米国精神医学会の精神科レジデンシートレーニングの必修科目として認知行動療法が組み入れられていて、精神科医の専門研修のあいだに15-30時間の講義と2-5例の症例スーパービジョンが行われている大学もある。日本でも、日本精神神経学会の認定専門医のプログラムで認知療法が必修項目として取り上げられている。いずれにおいても、十分なトレーニングを提供できる専門家の供給が喫緊の課題となっている。米国心理学会認定の臨床心理士養成大学院では、8割のコースが認知療法を実習に取り入れ、半数のコースが、認知行動療法を最も主要な技法としている.イギリスでも、英国心理学会認定の臨床心理士養成大学院では、認知行動療法が最も主要な技法となっている.しかし、日本の臨床心理士の養成大学院では、まだ認知行動療法の教育はそれほど進んでいないのが現状である.

臨床の現場における認知療法・認知行動療法

1990年代は、日本社会の大きな転換点であったといえます.かつて安全で繁栄していた日本は、1990年代を境として大きく変貌しました.メディアでは、うつ病や自殺、ひきこもりやニート、犯罪や非行、PTSD、ストレスといった心理的問題が毎日のように報道されるようになりました.とくに、うつ病や自殺に対しては社会的な関心が高まっています.職場における過労やうつ病の増加が社会問題となり、抑うつの低年齢化も指摘されるようになりました.また、抑うつと関連が深いとされる自殺についてみても、1998年の自殺者数は3万人を突破し,それ以来毎年3万人台を越えています.健康問題や景気の悪化による中高年の自殺者のほか、過重労働によると見られる働き盛り世代の自殺も多くなっています.

こうしたメンタルヘルス問題の解決に対して、認知療法・認知行動療法は大きく貢献しています.世界の認知行動療法の臨床家はこうした問題と日々格闘し、いろいろな技法や解決策を開発してきました.日本認知療法学会では、そうした技法の具体的な情報が提供されています.

病院では

最近の日本では、うつ病や不安障害、心身症、PTSDといった精神疾患がメディアをにぎわすようになりました.病院では、こうした精神疾患の患者さんが増えています.認知行動療法は、こうした精神疾患に対して大きな治療効果をあげており、世界の精神療法のグローバル・スタンダードになっています.医師(精神科、心療内科、小児科、内科など)、臨床心理士、看護師、福祉職など多くの職種が認知行動療法を実践するようになっています. 

企業では

企業においては、勤労者にうつ病が発症するケースが増加しており、特に自殺者数の急増も大きな社会的問題となっています.認知療法は、職場でのうつ病の発見と治療、自殺の予防に大きな力を発揮します.また、従業員のストレス管理(ストレスマネジメント)について、認知行動療法は、具体的な指導法を提供しています.たとえば、ある電力会社では、発電所に勤務する従業員に対して、行動療法・認知療法にもとづくストレスマネジメントプログラムを実施し、緊急時対応や通常時の従業員のこころの健康管理に努めています.

学校では

学校では、学級崩壊、いじめ、学力低下などの問題や、発達障害のある児童生徒のインクルージョンなど様々な課題がクローズアップされています.認知行動療法は、児童・生徒の不適応の予防と指導について大きな効果をあげており、こうした問題の解決に大きく貢献しています.教育関係者でも、認知行動療法に興味を持つ人は増えています.

司法機関では

最近の日本では、青少年の非行や少年犯罪の増加、麻薬や薬物依存の常習化や依存症状が憂慮されており、司法機関ではこのような非行や少年犯罪への処遇に頭を痛めています.行動療法・認知療法は、怒りのコントロール法や薬物乱用のコントロール法などを発展させており、犯罪への処遇に大きな効果をあげています.認知行動療法に興味を持つ司法関係者も増えています. 

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